
ブラック企業から独立を果たし、ゼロから宇宙一の焼き芋屋(干し芋もよろしくね❗️)を目指す男のリアルドラマです。
頭の中が“農業”と“トレーニング”と“子供”のことで埋め尽くされた30代男の雑記ブログですが、少しでも共通点のある方は是非ブックマークお願いします🤗
いろんなことに四苦八苦してる様子ばかり載せるかも知れませんが、人生の逆転劇を目の当たりにしたい方、いくつになっても成長していたい方(あと、人が苦しんでる姿が好きな人も💧)
『えぇこと言うなぁ…(じんわり)』
『深い話しするなぁ(たまには)…』
ってゆう記事も書いていきますんで!どうかお付き合いください!この出会いであわよくばあなたの人生変えるくらいの意気込みでやっていきます!٩( ‘ω’ )و
よろしくお願いしまーーーーーーす!
(開業したらお芋も買ってください)
最新の投稿
https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js?client=ca-pub-7854218195500493- 菌ちゃん農法の弱点?

樹勢もしっかりして、ナスを無肥料で収穫出来るという奇跡を見せてくれている菌ちゃん農法ですが、やはりそこの土壌にないものは野菜にも補えないという現実はあるでしょう。
ちょっとマグネシウム欠乏っぽい症状が出てきました。
今のところしっかりとした実が収穫できてるんで、このまま様子見ようかとも思いましたが、ほっといて戻るなら最初からこうならんだろ!と思って、やはり苦土は入れることにしました。
来年は白茄子も菌ちゃん農法畝で育てよう!

美しい😍
- 菌ちゃん農法、ガチっすよこれ!

今年は芋以外の栽培研究も結構できそうなので、いろいろやってみました!
その中で興味深いのが去年の冬頃から畝作りをした話題の菌ちゃん農法。
微生物の多様性を増やすタイプのものと違ってひたすら有機物をぶち込んで糸状菌を増やす農法です。
普通の有機農法との比較実験で、植え付け1カ月しないくらいの頃には差が見え始めました。
(上の写真)
手前がその菌ちゃん農法。
まぁ時期的にもマルチで地温が上がってるせいかもな!と思っていましたが、数週間後の写真がコレ!


遠近法で分かりにくいかも知れませんが明らかな差が出ました。
と、言うのも、ナスは肥料喰いと言われるほど水も肥料も多く必要とする野菜なのですが、全く無肥料でしっかり生長しています。
一方、多く花がついてきたこの時期、他の株は肥料切れを起こし始めていました。
完全に窒素固定細菌が働いている証拠です。
これはかなり今後の方向性に影響します(芋はコレでやりませんが)。
アブラナ科とこの農法は相性が悪いので若干使い勝手が限られますが、人力による小規模有機栽培スタイルであるみさお農園の強い味方となるでしょう!
菌ちゃん先生すげぇ!
- 無理が通れば道理がひっこむ
前例主義が未だ色濃く残る日本社会では国外から散々言われている「日本にはイノベーションが足りない」という状況が続きます。
私自身、画期的な案を頭の固い上司に却下され、イノベーションの種を消されてしまうこともありました。
ある時、ある事業に関して独断で結果を残した時、本来許可を得るべきだった上司から咎められることなく、以後、いい意味で放っておかれるようになりました。
結果、ここ数年間の職場での評価は群を抜いています。
みなさんも、これだと思う閃きがあったら、多少無理を通してでも責任の取れる範囲で冒険してみてはいかがでしょう?
野球界で二刀流の実現可能性を証明した大谷翔平選手が現れるまで、それに批判的だったのは突き抜けきれた選手がいなかったからでしょう。
きっと打撃ができる投手は何人もいたことでしょう。
だけど、それぞれが世界のトップレベルに達さない限りは「両方やっててはこの程度」という言葉に抑え込まれてしまう。
別に投打ともにプロ野球界で平均的な実力さえあれば二刀流として「成功してる」と言えるはずなのに。
大谷選手ですら世界のトップクラスになるまでは現にそう言われてましたからね。
だけど今はどうでしょう。
無理が通れば道理がひっこむの代表例じゃないでしょうか。
ほどほどの成功では失敗扱いされてしまいがちな世の中ですが、必ずしも世界のトップまで突き抜けなくても周囲に認められないとは限りません。
視野を広げて可能性を広げて見れば、これまでつまらなかった仕事が面白くなります。
私にはこんなこともできたんだって気づくことができたら人生楽しくなるでしょう!

- プロの暗黙知
暗黙知とは「経験的に理解している言葉にしがたい知識」という意味です。
「言葉にできないけど、感覚で分かる」みたいな。
情報過多と言われる現代で、情報時代に今や価値がつかないとすら言われます。
私もプロのベテラン農家のノウハウをタダで簡単に教わることができます。
しかし、やっぱり「分かる」と「解る」は違うんだなって、実践してみると痛感します。
例えば「化成肥料は即効性があり、強力だ」などと言葉で理解したつもりでも、いざ、完全に有機肥料のみでやってみると
『こんなにも違うのか!』
と、明らかにわかります。
昔、家庭菜園でばあちゃんが使ってた化成肥料を撒いたら数日で効果が目に見えたのに、今はそんな魔法みたいなことが起きません。
この感覚で解る「こんなにも」の度合い。
これが経験者の暗黙知なんですね。
この手の分かった気になっていたことや、まだまだ全然わからないことがたくさんあります。
何事も実際にやってみないと本当の「解る」には至れない。
よ~し!去年までに大量に読み漁った書籍を今年はひとつずつ実践していこう!(=゚ω゚)ノ

- 受継がれし想い
昨年、妻の祖母(以下、「おばあ」)が他界しました。
享年90歳。
思えば私の農業の原点は、15年くらい前にやっていたおばあの畑仕事の手伝いでした。
その時に初めて鍬の使い方を教わりました。
かなりぎこちなくて笑われたのを思い出します。
おばあちゃん子の妻は未だに悲しみをぬぐい切れませんが、私も結婚する前からの長い付き合いなのでやはり強い悲しみを覚えます。
みさお農園の”みさお”はおばあの旦那さんです。妻のおじいの名前からとっています。
おじいが残した土地なので私が勝手にそう名付けました。
おじいもおばあも私に一言も「農業をやってくれ」とか「この土地を頼む」なんて言っていません。
「畑も山も好きにしていいから」
よく言っていたのはこの言葉でした。
私の夢は、おじいとおばあが残してくれたこの土地で家族を幸せにできる作物を作り、その価値を周囲に提供し、そこで得た収益で社会貢献(環境関係や福祉)をすることです。
これを叶えるには「先人たちを超える」という意識で、このバトンを受け継ぐ必要があります。
実質、私は2世農家ではありませんが、この土地や嘗てそれなりに資産家だったというおじいの背中という目標があるだけでもバトンを受け継いでいると思っています。
そしてもうひとつ受け継いだ想い
「みんな仲良く、幸せに」
これが、おじいとおばあが一番私に対して求めてたことだと感じています。
その手段としての農業を、私はこれから追求していきます。
おばあへ
長い間本当にお世話になりました。
これからも見守っていてください。
家族のことは俺が守るから安心してね。
どうか安らかに。
- 芋屋的愛の育て方「家族っちゅうのは・・・」
現在、子育て世代の我が家も、家庭内のあれそれが日夜、多々あります。
一言でいえば、まぁ・・・
・・・「大変」なわけですよ。
専業主婦の妻に対して、仕事から帰ってきた私の方が夕方家事をする割合が高く感じたり、
一時期、仕事が大変すぎて究極に嫌気がさしたときには、
「男性による家事育児が当然って考えは分かるけど、そもそも男性が抱えている仕事がなぜ常に育児より楽な前提なんだ!今はこっちだって気狂いそうなほど大変なんだよ!」
という時期があり、
『育児はやるけど、家事はやらん!!』
という考えに至ったことがあります。
時は流れ2023年
今は私の仕事の状況も変わり、家に帰ったら寝るだけの状況からは脱しました。
家事も育児もよくやっています。
そんな状況であるここ最近の夕食後、こんなことを思いました、
『ママは夕食を作ったけど、俺は子供たちを風呂に入れて、風呂掃除して、食器を洗って、洗濯物干して・・・今日は(いつもは適当に分担)バランス悪くないか?俺がここまでやるべきなのか?』と。
いつもは大体、私がやらない家事を妻がやるのですが、やらないでそのまま寝ちまいやがる時があるので、余裕があれば私が多めにやってしまいます。
来年には共働きになる予定なので、こんな問題は起きないのでしょうが、今はやはり「俺がここまでやる必要があるのか」とか思ってしまうんですね。
ただ、やっぱり家族を愛する(そしてブラック企業時代とは違って余裕のある)私はこういう考えに至りました。
『家庭において仕事の分担を考える時に「~べきだ」という考え方を持ち込んでしまっては愛は育たないのではないか。』
30代にして悟ったかも知れません。
正論ならべて理屈で話をするのは外(社会)で自分の権限や時間、立場を守る時に必要でしょうが、理屈を用いた論争を家庭、特に夫婦間でしてしまっては、愛が理屈の枠までの大きさを超えないと思うんですよ。
例えばこんな感じのロジカルマシーンと結婚したいですか?
妻「ごめん、悪いけどこの仕事が終わらなくて手伝って欲しいんだけど・・・」
夫「いや、私も今まで○○していて、この時間君は✖✖をしていたよね?起床時間も私が〇時であるのに対して君は△時だ。そしてこの作業にかかる時間は前回と比較して同等であるはずなのにその分を加味してその他の仕事を処理してきたのかい?僕はしてきた。努力をしている者の時間を努力していない人間が奪うことに対してどう思う?僕だったらこんなこと頼めないね。さらに言えば明日僕は・・・・・(うだうだ)」
・・・・家族ってそういうものかい!?そこに愛はあるのかい!?
そんな姿を子供に見せて育てたいかーーーーい!?
人は感謝しても感謝されても幸せになれるんです。
理屈を超えた人間らしい繋がりがあるから必ずどこか悪いところや自分と合わないところを持つ他人と暮らすことに幸せを感じるんだと思うんです。今がそうじゃなくても、そう感じ得るんです。
そういう家族でい続けたいですね。
機械にはできませんよ。
また、自分のなかにウダウダロジカルマシーンが表れそうになったら自分に言い聞かせます。
俺はキカイダー(昭和のヒーロー。さすがに私もこの世代ではない。)じゃない!!と。
注:キカイダーはウダウダロジカルマシーンではありません。多分。知らんけど(笑)
- それは筋肉界で言うステロイド
世界のトップボディビルダーのほぼ全員がステロイドユーザーだと言う。
ナチュラル(ステロイドを使わない人)の限界はざっくり数式化でき、その業界の人間はぱっと見でユーザーかナチュラルかが分かる。才能のある人が努力を重ねても人間である以上、そのシルエットは一般レベルから一定以上離れられない。
有機農業をやり出した私は、市場に並ぶ綺麗な野菜を見てそれと同じようなことを連想する。
「ナチュラルでは、こんなに綺麗で形が揃ったものが大量生産できるはずない」と。本物の野菜を手に入れることが難しい現代。
このナチュラルに当たる「本物」の野菜には、販売するにせよ自家消費するにせよ、値段に換え難い価値があると言えよう。

- 農家的子育て理論
農業をやりはじめて、子育てにも繋がる気づきがあったので紹介します。
私はこれまでの慣行農法を学ぶ前に自然農法の学習から農業界に入りました。自然農法とは、自然に近い環境のもと、作物の本来の力を引き出す農法であり、放任栽培ではありません。
完全放任では自然に生ってるだけであり、農法とは言えず、結論、うまく育ちません。(普通は「いや、当たり前だろ!」と思うでしょうが、自然農法の学習から入った私は一周まわってやっと気づきました💦)
自然農法は「農法」なので、人の手が加わります。作物自身が持つ本来の力を、余分な人工物を使わずに引き出す。
それが現代で理想とされる農業の姿です。
私はここに子育てに共通するものを感じました。子供の持ってる力を最大限に引き出すには、親が用意した人生のフレームに無理やりはめ込むことも、放任して本人の自力のみに任せる育て方も望ましくはないでしょう。
私自身の話ですが、特に学力の面では放任されてきたました。
植物に例えるなら、自然にあるだけの養分で育ち、暴れ(必要のないところに栄養を使い)、他との競争に敗れて陽が当たらなくなって弱っていきました。
自分の力だけで軟弱に生長し、そして枯れていった感じですね。
私が真剣に学習に取り組んだのは社会に出てからでした。
今の能力では社会の競争に勝てないと思ったからです。
その時にいろいろ思ったことがあります。
これまで出会った大人たちに感謝はしていますが、
『これ、子供の頃に教えといて欲しかった~~~~~~!!!』
ってことがめちゃくちゃあるんですね。
なので私は今、親になって心掛けていることのひとつに
今、それが伝わらなくても、いずれこの子が道に迷った時に早い段階で軌道修正できるように『理解はできなくても、その概念や言葉だけでも頭に入れといてあげよう』という考えがあります。
慣行農法と自然農法の違いの本質は肥料をあげるとかあげないとかじゃないんです。
視点が人にあるか作物にあるかの違いです。
子育てに言い換えると、親目線か子供目線かということです。
親は子の目線になれれば 2回目の人生みたいなものとも考えられます。そのままいけばどうなるか自分がある程度経験してるんですね。大それた話ではなくて、「甘いものを食べすぎたら体に悪い」とか、「ひとに対してこういう接し方をしたらこうなる」とか。
世の中の当たり前や、自身が経験してきたことを、あくまで今の自分の目線ではなく、子供の頃の自分の目線に戻って、感じたことを今の子供の目線で話すってことです。
そうした目線で、こういう時に何をしてあげるべきで、何を敢えてしてあげないべきなのかを判断する。
これが農家的子育て論の一つです。
まとめあくまでも子供も自分自身ではないという意味では他人なので、投げかけた言葉に対する反応も結果も当然違いますが、大人になってから「これ、子供の頃に知っときたかったぁー!」ってことを伝えるのはやはり大事です。そのためには我々大人たちも学び、成長し続けていないといけませんね。

- 農園開拓期の夏 ~気づいちゃった2023~
今年からいろいろやってみようとトマトやナスなどの果菜類の栽培も始めました。
とにかく「無農薬」に拘りすぎて、引き算の発想が行き過ぎていることが分かってきました。
無農薬
無化学肥料
不耕起栽培
目指せ”自然栽培”!!
慣行農業というか、本来の基本を踏まえずしてこういった応用(?)から入ったせいで、私のやっていることはもはやほぼ農業ですらないことに気づきました。
これは自然栽培や放任栽培ではない『自然に放置してるだけ』だ💦
いくら刈り草に微生物振りかけて土に戻しても、1年目でまともに肥料の代わりにはならないようです(笑)
そもそもこの地で太古から自生してる野菜でもなけりゃ、人の手を加えなければうまく育つわけはない。
それをするのが農業なのだ。
・・・・あたりまえだーーーーーーーーーーーーーーーー!!(モンキー・D・ルフィ)
まぁ入口を間違えたせいで変な遠回りをしましたが、そこまで重大なミスはしていません。
微生物の多様性を増やし、腐植を増やすのに必要な期間に勉強がてらちょっと遠回りをして学習しただけです。
というわけで、果菜類に必要な栄養が全然足りてない状態で、全然株が育たないナスたち

周りの農家さんをみてようやく今年になって気づいたけど、サツマイモも雑草管理しないと8月にもなってこんなにも育たないのか、という現実。
去年なんかこんなでしたからね(笑)

「雑草がまわりにあっても一応陽あたってるし大丈夫だろう。ツルボケ防止にもなるし!」と思って放任栽培のつもりでやってたのが去年までの失敗の主因っぽい気がしてきました。
これはまさに自然栽培じゃなく、ザ・自然(=゚ω゚)ノ
(今までは茨城にずっと居られなかったので仕方なかったのですが)
これから目指すべきは、『農家として野菜にとって必要なお世話を、自然由来のものだけを使ってすること』
そう、自然任せに放っておくことでも、人工的な肥料や薬品を土や野菜に施すことでもない。
この間を行くのが新時代の農業なんだなぁって実感しました。
- いい雑草ばかり生えるようになった
特に堆肥なんかを多く投入したりはしてないのに、畑に生える雑草がまるっきり変わってきました。
ほぼ菌の多様性を上げるための作業だけで、ホトケノザやハコベがびっしり。
そして、このハコベ、めっちゃ使える✨

根が浅くて、取りやすく、程よく繋がっててじゅうたん状になるため、雑草マルチにしやすいんです。
苗の定植時期まで畝に被せておくと、植え付けの時になって、他の雑草が邪魔になることがなくなります。
しかも、植え付けのタイミングで畝間に退かすと、そのままつるボケ防止のマルチになって、その後、畑にすき込んで畑の肥やしになります。
うちはトラクターも使わないんで、かなり助かります。

そのまま生やす場合も、下に菌糸がびっしり。
糸状菌栽培に最高。
- 今年は過去一いい芋できます!

なんとか開拓して畑にしただけの昨年までとは、今年は全然違います。
土壌改良元年。
さっそく半年くらいかけて育ててきた土が、感動的なほど良くなっています。
サツマイモにとって必要な水捌けが断然良くなっています。
ポイント1 水はけの改善
畝に乗せてるのはハコベです。
このまま定植時期まで雑草を防除し、植え付けの際に畝間にどけて、今度はつるボケ防止に役立てます。
1ヶ月後が楽しみです。
・・・と、思っていたのですが、しばらく茨城から離れていたため雑草管理が追いつかず(というか、雑草管理の重要性に気づいたのがかなり遅かった💦)
場所によっては8月になってもほぼ生長していないまま一応生存している状態でした。
ポイント2 雑草管理をしだしたのが8月
その後、酢酸カルシウム(卵の殻を酢に漬けて作成)というものの存在を知り、施肥。
根に栄養がまわるように初めて肥料的なものを利用。
ポイント3 酢酸カルシウムの導入
さてさて、これまでとはいろいろ違うことをやってみましたが、何がどう影響して結果はどうなることか。
乞うご期待!!
- シン・農家 ~この道で生きていく~
現代の野菜は半世紀前の野菜と比較して、全般的に栄養価がガタ落ちしているようです。
それも酷いものでは1/10以下のものもあり、半分以下にまで栄養価が下がっているものはざらにあるのだとか。
そうなると、よく見る栄養成分表の数値もどの程度正確な数値かが怪しく、少なくとも物(というよりは、製造元)によってだいぶ変わってくることが分かります。
つまり、例えば人参なら、色や大きさなど見た目のそう変わらないAとBの人参でもまるっきり別物と考えた方がいいくらいの違いがあるんです。
また、一般に言われている野菜の一日の摂取量も、数倍単位で多く摂取した方がいいことになります。
しかし、問題なのはこの先です。
現代の野菜には『硝酸性窒素』というものが多く含まれていて、これは発がん性物質を作る成分のため、とある研究では「野菜の摂取量と抗がん作用は相関しない」という結論さえ出ています。
しかし、食物繊維やビタミン、ミネラルが体を整えるうえで重要な役割を果たすことは経験的にこれまでの人類が証明してきています。
察するにこれは、硝酸性窒素の発がん作用と野菜の栄養の抗がん作用の相殺が起きての結果だと思うんですね。
話を戻しますが、そんな硝酸性窒素を多く含む野菜を栄養価が足りないからと言って多くとって健康になれるでしょうか?というのが問題になってきます。
消費者目線としては、『野菜は選ばなければいけない』ということと、
生産者目線としては、『日本の食を本当の意味で支える重大な任務がこれからの農家には課せられている』という思いを抱きました。
幸い、この硝酸性窒素を発生させない解決策は既に分かっています。
ただ、その農法を用いて生計を立てられている農家の割合が低いのです。
しかし、現代より農業を始める私としては、これは農家の使命として、多くの人の健康を内側から支えられるように努力していくしかないと心に決めました。
生命力のある野菜で、人々の生命力を育てる仕事です。
こんなやりがいのある仕事はありません!
まずは自分と自分の家族が「納得」の、その先。
「感動」する野菜作りをします。

- 思考力トレーニングとしての読書
みなさん、読書してますか?
どれだけ時間がなくても読書はした方がいいって成功者はみんな言いますが、本当だと思います。
時間がないから勉強できない!じゃなくて、
勉強しないから時間がないんだ!
ってのもすごく頷けます。
そんな読書超推奨派の私がおススメする、ちょっとひねくれた勉強法を紹介します。
名付けるなら
「批判読書法」
と言ったところでしょうか。
特に私の場合は育児書でこれを自然とやっています。
「これはいい発想だ!取り入れてみよう。」
という部分もあれば、
「いや、その考えは偏ってるよ!」
「理論上はそうかも知れないけど、実際はそんな簡単な話ではない!」
など、著者に対して自分の意見をぶつける読み方です。
他人の考えや、自分の見えない世界を容易に知ることができるのが読書の主なメリットのひとつですが、
この読書法は権威のある人の言うことも安易に鵜呑みにしないで、尚且つ、自分の考えだけに固執しないで情報を自分の知識、知恵に落とし込むために有効です。
この習慣がつくと、全く知らない分野を学ぶ時も、そのまんま「事実」として受け止めると言うよりは、あくまで今後の自分の意思決定に役立つひとつの情報として吸収するようになります。
同時に、それをもとに自分で考えるようになります。
思考力は知識量に比例します。
でも、知識量はそのまま思考力には必ずしも直結しません。
鵜呑みにする読書じゃなくて、考えながらの読書。
是非ともお勧めします。
- 前進あるのみ
私がよく自分に対して呟くひとりごと
『前進あるのみ』
大人の世界ではいろいろあるから
「体にいいことをした方がいい」
「将来のためになることを学んだ方がいい」
色々、理想はあるけどそれ通りに行動できないものです。
だけど芋屋を本気で志してからのこの2年余、
やっぱりいろいろ心が打ちのめされることもありましたが、何とか前を向いて歩みを止めずに来ました。
自分の中のイメージですが、ヨタヨタと満身創痍で歩き続けたり、それこそメンタルボロボロになって何もしたくない時も、やっぱり這ってでも前に進もうと思って心も体も頭も鍛えてきました。
そんな中、同じく大変な思いをしている人に話してあげたい教訓を得られました。
今、わたしはこんな心持ちで頑張ってます。
『人生は順調な時にどれだけ前進できるかじゃなくて、調子が悪い時にどれだけ這ってでも前進してきたかで決まる。』
人生で「調子がいいなぁ」なんて感じれる時はどれくらいあるでしょう?
そんな心地の良いコンディション待ちでスタンバイしてるよりも、這ってでも進んでる時間が長いやつがやっぱり強いと思いますよ。
そしてそのコンディションを良くしていくのは自分自身。
これを書いている今の私にも決して追い風は吹いていません。挫けそうな毎日です。
それでもこんな時の地道な一歩が必ず後で効いてくる。
そう信じています。
今日も
前進あるのみ。

- 仕事の価値を自分でつくる
やる必要のない仕事を組織の方針により、やらなくてはならない時ってありませんか?
もしくは自分の考えや価値観に合わない仕事を任せられることって少なくないと思います。
そんな時は、私の場合
『その仕事の価値を自ら見出す』
という工夫をするようにしています。
例えば、とある意味のないデータ分析作業を求められたとしたら、組織にとっての本来目的から敢えて外れて、
「個人のデータ分析能力のトレーニング」
に目的を変換してしまうのです。
本来はこれではいけません。
求められていることの目的を理解して、「WHAT型思考(具体的に何をやる、に焦点をあてる)」ではなく「WHY型思考(なぜそれをやるのか、本質部分を考える)」で考えるべきです。
森を見たうえで、木を見る視点が理想です。
しかし、どうにも自分の決定権の及ばない範囲で決まってしまった仕事は、不本意ながらもその作業を実行する必要があります。
そんな時に活用してもらいたいのがこの「価値創造思考法」(今、名前つけました)です。
「意味のない仕事の質をあげる必要はない」
誰かがそんなこと言ってました。
遠くから見たらヘビメタでも聞いてるのかと思われるくらい、私も首がもげるほどその考えに頷きました。
無駄なことを頑張る時間など短い人生の中に存在しないのだ!と。
しかし、雇われる側の立場での私には「家族のためにはそれをやること自体に意味がある」という状況もあります。
不本意極まりないですが。
こうなったらまた得意の思考法マジックの出番です。
あくまで本質を見失った作業はしたくない私は視点を変えます。
「組織の目的を達成するうえでの本質」ではなく
「私の能力向上をする視点で見た、その作業の本質」を見るのです。
要はExcelを使う作業なら、Excelを使って情報を収集、分析、要約、表現する能力を身に着けようとすれば必ずその努力は自身に返ってきます。
ただ「やりたくない、けど仕事だから頑張る」という最低限の心の持ちようと、どっちが5年後、10年後になりたい自分に近づけているでしょうか。
そうやって自ら作り出した小さな価値をかき集めていくと、組織と方向性が合わなくても、個人としては高いモチベーションを保ったまま成長していけます。
コツは「半日単位(できれば1時間単位)」で目標を設定してそれを追いかけることです。
私はメンタルダウンしかけていた時にこの考え方で、何があっても前向きにやっていこうとする姿勢を取り戻しました。
- それでもやっぱり今の仕事が好きになれないなら
仕事に不満のない人は殆どこの世にいないでしょう。
この記事をご覧になられているということは、きっとあなたもその一人ではないでしょうか?
「好きなことを見つけるよりも、今の仕事を好きになることが大事」
仕事に関して思うところとして、結局それが結論になるとは思います。
分かっています。そんなことは(=゚ω゚)ノ
ただ、それでもやっぱこの仕事は、もはや本能レベルで好きになれないかもしれないぃぃ(´;ω;`)
ってこともあるでしょう。私がまさにそれです。
効率の悪いことをやりたくない。
生産性のないことに時間を使いたくない。
そんなこんなで私は、
専業農家になりたい!
(私の場合、現状に問題があるからではなく、それを抜きにしても農家に心から魅了されてしまったのですが。)
「いつかはこの仕事をやめて…」
と、我慢しながら今を過ごす。とりあえずはそうしなきゃならない事情がある。
多くの人がそんな感情を抱いていないでしょうか?
そんな時、なんとかメンタルを保つ考え方は
「この仕事で○○の能力を伸ばす練習をする!」
「経営者でもないし、いずれ辞めるこの仕事でなら実戦形式で大胆に挑戦して失敗し放題!」
「トレーニングするのに給料までもらえて最高にいい環境だ!」
です。
私の場合、
「問題解決力を伸ばすこと」
「コミュニケーション能力を鍛える」
をモチベーションにしています。
直接的に農業の技術や知識は身につかなくとも、経営者として必要な基礎知識、ビジネスマンとしてのスキルは養えます。
要は「自分の能力向上のためにその職場にいる」と考えるのです。これを習得型のモチベーションとか言ったりします。
他人の評価とか自分ではどうにもならないことよりも、自分の成長に焦点を当てていればやる気が継続されやすいというものです。
それを「誤魔化し」として終えるのか、次のステップへの成長のためのモチベーション管理と意味づけるのかは自分次第です。
嫌だからやめちゃう、とか
嫌なままひたすら我慢して生きていく、よりも
こういった考え方次第で確実に意味のある時間に変えられます。
これを見てくれているあなたには、今のこの苦しい環境を、どうか次の飛躍のためのステップとして意味づけて欲しいです。
もし、今の環境を変えないという選択肢をとったとしても、考えが変われば世界は変わります!
ともに戦いましょう!
- 夫婦二人三脚
私の妻はビジネスにも農業にもまるで向いていない。
しかし、私には到底敵わない長所も持ち合わせている。
それは人当たりの良さや、子供慣れしているところだ。
これはいくら私が努力しても今から彼女を上回ることは不可能だろう。
私が「知」と「力」を担当し、妻が「情」のプロフェッショナルとして分業すると、これはもう無敵だと思った。
これまでビジネスの世界で交わったことのないこの二人が一致団結できたら我が農園もかなりいい仕事をするようになると思う。
それに加えて、育児をしていて時折思うのが、どんなに子供がかわいくて愛おしくて大切でもいつかは離れていく。
そもそも我々のゴールはそこなんだ。
考えるだけで泣きたくなるが、寂しくも、それが彼らの幸せなわけで、この間の楽しかった旅行もほんの15年や20年もすれば夫婦二人で将来的にはくることになるんだろうな・・とか考える。
「子は鎹(かすがい)」
確かにそうだが、それがなくても固く結ばれて死ぬまで仲良くいたいな。
いつしか「こども第一」
それどころか「こども命」に。
その考え方も必ずいつかは変えなきゃいけない。
やはり人生のパートナーはまた別格で大切にしなくちゃね。
俺より先に死んだら許さん( `ー´)ノ
- 農園3年目へ向けて
2022年はどう表現しても不作としか言えない結果でした。
惨敗です。
ここまで随分長い道のりを進んできた感覚ですが、
いや、まだこれ2年目か(‘Д’) 信じられん💦
3年目にあたる2023年。
今年はいよいよいろんな修行期間を経て、農園のある茨城県に住所を戻します🎊
子供たちに毎日会えるぞー---!\(^_^)/
そして、これまで私の不在間に管理ができない可能性が高いことを理由に使ってなかった本命の畑を解禁します!

元々畑だったこの土地は、しばらく耕作放棄地にしてしまったけど、笹薮を開拓してきた私としては、超魅力的な土地✨
相変わらず時間と予算がなく今回の滞在期間も人力で短時間決着。
スコップに続き最初の開拓時代から酷使してるレーキも限界を迎えてしまいました。
今までありがとう、戦友よ。お疲れ様。

そして今年までいろいろ試行錯誤してきたけど、やっぱり土質が悪いってことで土壌改良に本格的に取り組みだしました。

これまでの全くのただの土をプロ仕様に変えていきます。この堆肥も以降は自分で作っていきます。
今年からはサツマイモ以外も育てるので鶏糞も導入。これも多分、初期のうちしか使いません。
これらに代わってメインとなるのが“菌”たちです。
まずは、テッパンの米糠と・・・

納豆菌!


最近は菌について勉強しているところですが、茨城ブランドで納豆菌を使った無農薬野菜は結構アピールポイントじゃないですか?
しかしまぁ、初回失敗しました😅
ネット情報とかの見様見真似で写真のとおり大量に納豆を用意しましたが、培養すれば爆発的に増殖するんですね 笑
複数種類の少量の納豆から納豆菌を培養して(乳酸菌を入れるえひめAIはマッコリみたいないい匂いになります。)

撒く!

当初、除草剤撒布用に買った噴霧器ですが、やっぱり除草剤に抵抗があり、結局使わなかったのがここで役に立ちます❗️
米糠はこれらの善玉菌を増やして土も柔らかくしてくれるのだ。お前ら最高だぜー!🤗
この作業を春先まで何度か繰り返すのです。
あとは、糸状菌を主力に栽培するやり方。
菌ちゃん先生で知られる吉田俊道先生が普及活動をされてるやつです。
このやり方は納豆菌のやつとは相性が悪いので併用はできません。

簡単に言うと菌糸のついた木や葉っぱを畝に伏せ込んで糸状菌を培養しておくと、そこに植える野菜の根と畝中に張り巡らされた糸状菌の助けによってめちゃくちゃ栄養が吸えるようになるというもの。
「何にもない」と思っていたこの土地が、目線を変えればまさに宝の山だった。
刈りに刈った笹や栗の木が、今じゃちょうどいい糸状菌栽培の材料になっています。

竹藪には糸状菌栽培の着火剤となる菌糸が✨宝じゃ!

丁度、時代が自然農に本格的に目を向けだした今、それによって競合他社と差別化されるメリットは少ないかも知れませんが、我々人類、特に日本人にとって自然農はすごく重要なことです。
我が農園にとっても、おかげさまで自然農に関する情報が多く手に入れられる今、これにかける以外ないのです。
ここからが本番じゃー---------!!
本年も宜しくお願い致します😙
- 思考力を育てる in IT社会
IT社会で物事が便利になっていく一方、人間としてもともと持ち合わせていた能力が失われるものもあります。
そういった話題をこれまで何度か投稿してきましたが、今回はその中でも”勘”が失われる可能性について焦点を当てて書きたいと思います。
社会ではいい加減な指示を出されても「良い加減」に物事を処理できる人材が必要です。
極端に有能なレベルではなにしろ、我々はみんなそういった勘に頼った処理能力を持ち合わせています。
プログラミング学習が導入され、そういった教育を受けた子たちはいい加減な指示など出さない大人に育つのでしょうが、多くの人と接し非論理的な類の思考力も高めていかないと、逆に適切な指示がなくては「良い塩梅を察する」ということができなくなることも考えられます。
それこそ言語化されていない状況や他人の表情、社会通念上又は倫理上妥当と判断されることが酌めないというこも大いに考えられます。
もっと悪い場合には、逆に言語化されて規則化されたものに対し、盲目的に従ってしまうとか。
いますもんね、今の世の中ですら。
「そうなんだけど・・・・そうじゃないんだよなぁ;」っていう感じ。
「は?なんで、この間そう言ったじゃん!」
「マニュアルにこう書いてあるじゃん!」
要は、ケースバイケースに対処できない人。柔軟性のない、いわゆる「思考停止」の人です。
若いうちは単に社会経験の少ない「未熟者」で済むのですが。許されるのは20代前半まででしょう。
コンピューターへの指示は厳密にその通り完璧に指示しないとその通り動きませんし、逆に指示した通り完璧に動きます。
これをこれまでのいきさつや経験から「1」の指示で「10」分かり得るのが人間であり、機械に勝る部分です。
極端な話、昔のドラマなんかで見る
「おい、アレ持ってこい!」
で、通じる感じ。
その「アレ」が通じないことをネタにしたドリフのコントや、最近ではNHKの「おかあさんといっしょ」でもそんな感じのコント(?)が見られます。
それは
「分かるだろう!この場合の「アレ」といったら○○しかないだろう!」
と思うから面白いわけで、これがリアルに通じなくなったら笑えないかも知れませんね。
指示する側は、厳密に明瞭な指示を出す必要があり、指示される側は、指示の意図や背景まで酌めるとビジネスマンとして理想です。
これからの人間に求められる要素の一つとして「創造力」というものがあります。
創造力は、知識を知恵に変え、その時々の文脈や状況に応じて直観的に判断する力からなるものです。
これは機械にはマネできません。
人間にとって最も重要なことの多くが論理的には説明できなかったりするんですよね。
これまでの歴史的なイノベーションもこの直観力から生まれました。
考えてみれば当然ですよね。
今のところまだ幸い、創造(想像)することは人間だからできることで、その点、機械は所詮機械だと言えるわけです。
ここに大きな意味や価値があります。
野球の野村監督が書かれた本に出てきた言葉ですが、
「人の最大の武器は感性。最大の罪は鈍感」
とあります。
そうです。「暗黙知」といったら難しく聞こえるかもしれませんが、要は「感覚」です。
この感覚・感性は機械とだけ向き合っていたら育ちません。
時代は良い方へ向かっています。
何か変化するということは意図せず弊害が何かしら起き得るものです。
その変化の中で改善の流れを妨げる障壁は大人たちが取り払っていかなくてはいけませんね。
論理的思考だけじゃない、総合的な思考力を身に着ける教育を心掛ける必要があるなと、ふと思い、今回の記事を書きました。
直接的な人との繋がり
これが今後ますます重要です。
間接的にも多種多様に及ぶコロナの脅威から子供たちを本当の意味で守る!
ともに戦っていきましょう!(=゚ω゚)ノ
- 「絶対」という言葉の意味を知りました。
この歳になって「絶対」という言葉の意味を理解しました。
対になるものがないという状態。
「絶対値」とか「絶対音感」の「絶対」。要は相対的じゃないってことですね。
基本的に大きい、綺麗、おいしい、遠い、などの形容詞は「絶対」の反対語である「相対」のもになります。
比べるものがあってそのようだと言える表現です。
一方、日本語には「絶対」という言葉から少しニュアンスをずらした「絶対的」という言葉もあります。
本能的に無償の愛を施せる我が子は「絶対的にかわいい」と表現できるのではないでしょうか。
これは「絶対にかわいい」と表現しても間違いはないのでしょうが。
我が子は何と比べることなく、我が子である以上かわいいのです。
同様に家族はかけがえのない家族であり、血の繋がっていない異性である妻が世界一の美女でなくても唯一の私の妻である以上、絶対的な存在なのです。
(そこは「絶対的にかわいい!」っていっとけよ!!)
よその奥さんより良い母、良い妻であるか、など比べるだけ無駄です。意味がない。
異性に対し、若いうちは優秀な遺伝子を残せるパートナー選びに奮闘することでしょう。本能的に当然のことです。
それがいずれ長い年月を共にすること自体に意味が生じ、徐々に唯一無二の絶対的な存在に変わるのです。
「彼氏」「彼女」から「家族」になるということは代えの利かない存在を持つということです。
「愛おしい」も形容詞ですが、これに関する自分でも驚きのエピソードがあります。
我が子が生まれ、この世に絶対的に愛おしい存在が出現した日から世界が変わりました。
世界一かわいいのではないかと思っていた小動物などが私の中で以前ほどときめく対象ではなくなったのです。
これは私の脳内で「かわいさの格下げ」が起こったと考えています。
矛盾したような表現になりますが、絶対的な存在の出現により、相対的に、絶対的存在以外のものが後退したということです(ややこしい💦)
また同時に、異性に対する興味が、正しい表現か分かりませんが「2Dになった」と言うか立体次元的な奥深い魅力を感じなくなりました。
「絶対的特別な異性である妻」以外がリアルの世界から消されたようなバグの世界。
(この現象を「大魔法使いなつみの呪い」と呼びます。)
一定以上の美人を「あぁ美人だな」と思うだけ。
そもそも当たり前なのですが、「別に関係のない人」になった感覚です。
私が寝ている間に5円玉を紐で吊るした大魔法使いに呪術をかけられていないのであれば、
これは絶対的な存在が私の世界に出現したことによる(私の中の)世界の変革なのだと思っています。
「絶対に」=「間違いなく」という、間違ってはいないが浅はかなニュアンスとしてその言葉を捉えていましたが、「対になるものがない」という言葉の本質部分に触れたことを私の奇妙な実体験を交えて一筆たしなめてみました。
単に辞書などで知識を増やしただけでは言葉の本当の意味を知ることはできないことにも最近気づきました。
日本語の奥の深さに気付ける器を人の親としてこれからも広げて行きたいと思います。
- 正しい後輩の在り方
最近、あんまり知識のない先輩にいろいろと難癖をつけられることがあります。
身に染みて感じたのですが、人って自分より能力の高い後輩はかわいくないもんなんだなって思いました。
経験上、確かに分かります💧
人間関係を優先させたかったら目上の人より少し馬鹿なフリして敢えて頼るのが一番賢い後輩の在り方なのかも知れませんね。
別に媚びなくていいんです。
ちょっと頼ってあげれば。
そう、頼って「あげる」んです。
この記事は職場の人には見せれませんね😅
では、また!
- 「走力」の実用性について地上最速で走るチーター。
その速度は時速100kmを超えるそうですが、そのスピードで走れるのは距離にして200~500m程度。
つまり500m以上逃げ切れれば勝ちです。
人間で考えると、走る場面で最も実用性のあるのは恐らく何かから逃げるか追いかける時。
後は、バスや電車、会議室、何か時間が決まっている物事がある場所へ急ぐ時でしょうか。
そう考えるとある程度実用的と言える走力が限られてきます。
ほんの数秒を短縮するために100mを全力疾走することも、42kmもの距離を人力で移動する必要もないわけですから(決して競技を否定しているわけではありません)。
そこで、実用性を求めて鍛えるならどんな走力かと言えば、1~3分、距離だとだいたい400~1000m程度を速く移動できるような走力があるといいのではないでしょうか。
追いかけっこなら、狭い場所ならそもそも走力がそこまで要りませんし、開けた場所なら100mだけ速くても400m地点では追いつかれるかもしれない。
「終電まで時間がない!」と思っても5kmも先の駅に向かって走り出す人もいないでしょう。
また、多くのスポーツにおいても極端に瞬発力だけ、または持久力だけを競う種目はそう多くはありません。
結論。「ダッシュに近い動き」が実用性、必要性、実践性が高く、それもある程度の持久力が必要。
400~1000mのインターバルトレーニングは、有用性が高く高価値なトレーニングであると考える。 - モヤモヤしてたら猪木さんばりの詩ができました
全力だから腹が立つ。
全力だから悔しい。
人を劇的に成長させるのは”挫折”だ。
本気でやらなきゃ挫折もできない。
「もう駄目だ!」って思うくらいこてんぱんにやられてから人生は面白い。
勝負に負けた時、お前に悔しがれる権利はあるか?
今日の繰り返しの先にお前の望む未来はあるか?ばかやろー!o(`ω´ )o
- ものの見方、考え方。
しばらく前に、某有名俳優が公然の場で奥さんを言葉で傷つけられたことに激怒して、相手を平手打ちしたことが話題になりましたね。
それに対し、賞賛の声もあがる中、一方では
「言葉で言われたことに対して暴力で返すのは間違っている」
との意見もありました。
何が正しいかを述べるつもりはありませんが、さも、心理的ダメージは物理的ダメージに比べ軽視されるような発言には私は疑問を抱きます。
時に心理的ダメージも殺傷能力を持ちます。
なのに世間の風潮としては、「口で言われたら、口で返しなさい」という教育がねじ曲がり、
心理的暴力 < 物理的暴力
のような構図が出来上がっているように見えます。
この一件の時にそんなことを思ったのですが、この問題を法的な面でも整備すべく行われているのが、各種ハラスメント防止の対策なのでしょう。
しかし、日頃、私はその被害度合いが定量化できないせいで「訴えた者勝ち」状態になる、名付けるなら『ハラスメントハラスメント(ハラハラ)』の方に目が行って、むしろ真逆の方向を向いていました。
(実際、言い方は悪いですが”公式の当たり屋”状態になっている人が多く見られるようになっています。)
これらの対立する「見えないダメージに対する考え方」の両方の視点を持つ必要があります。
ちょっとのことで、例えもともと自分に非がある場合でも「私は不快に感じていますー-!」と強く訴えたら、相手はどれだけ悪意がなくても重大なダメージを与えた加害者になってしまう今の被害者最強制度は、いずれ正しいことも部下や後輩に指導できない、またはしない方が賢明だという風潮が当然できあがります。
それで資本主義社会が成り立つでしょうか。
確実に経済が弱体化していきますが、それでも会社全体が潰れる方が個人で損失を被るよりいいと多くの人は考えるでしょう。
会社が潰れるのは間接的に自分のせいだとしても世間的にはそうならないし、賠償金を払うこともない。確実に潰れるとも限りませんし、他の人が解決してくれるかも知れません。
個人的に訴えられるより、圧倒的にリスクが低いように思います。
ただ、私が思うに、そうなってしまってはその組織はおしまいです。
ここでポイントになるのは被害度合の定量化です。
しかし、それは不可能でしょう。
かと言って、心のダメージが表面化するまでその被害はなかったことにされるような世の中であってはいけません。
問題は、『この問題をどう解決していくか』ではなく
『これらの答えの出せない問題だらけの社会でどう逞しく生きていくか』
だと思うのです。
世の中があらゆることに対応しようとしすぎて複雑化されたため、どこかで相いれない矛盾する問題が発生します。
法律という必要な線引きを悪用せず、また、悪用されないための人間力や知識、思考力が求められます。
私は、子供に子供向けの哲学の本を読むようにしています。
正解のない質問を多く投げかけるようにしています。
たかだかまだ40年も生きていない私ですが、明らかに昔よりも住みにくい社会になったと感じています。
時代の変化のせいではありませんが「AはBだ!」などという二局化した物言いはできない世の中で「あの時の暴力は良くない!なぜならこの場合においては・・・」という多角的なものの見方、考え方ができる人間を、私たち大人が子供の教育を通して作っていかなければならないだろうなと思いました。
・・・なんか、クソまじめな記事書いてしまった(‘Д’) ではまた!
- 2022年 収穫
完全自然農のみさお農園は、収量は少なめになるのは覚悟していますが、今年は・・・
あれ??うち、ごぼう育ててたっけ???(;’∀’)
今年は全国的に不作だと言いますが、うちはもう壊滅的に不作でした。
考え得る原因は二つ。
多めの雨量に耐えうる排水性が確保できなかったこと。
株間を詰めすぎたこと。時間のない中、無肥料無農薬どころか草刈機以外器材も使わなかったので畝も高くできず、それが原因だった可能性はなかなか濃厚。
いろんな事情があったので今年は仕方なかった。
あとは、ビニールハウスを購入して苗が思いのほか 大量に確保できたのが裏目にでたため、基準とされる株間を全然とらずして詰め詰めで植えまくったのも問題でしょう。
垂直植えなら株間を詰めても大丈夫だろうと思い、基本を押さえずして応用に走ったからでしょうか。
くそーーー❗️❗️
まだ販売には至れません。
3年目になる来年こそは必ず芋屋デビューするぞ!
とにかく土質も悪いのでせめて微生物くらいは今のうちに育てようと米糠を撒きました。
(でも、ここはアスパラコーナーにしよーかなー??)

来年からは元々畑だった場所を使えるのでその時点で結構問題は解消されますが、この土では収穫量の問題もさることながら、作業効率が悪すぎて体力が5倍持ってかれます。
植えれない(苗が刺さらない)、収穫できない(引っこ抜けない)はきつすぎる( ; ; )
家庭菜園じゃないんだから。
当面は笹薮あがりのこの土地の土壌改善との戦いになるでしょう。
しかし、またひとついろいろと勉強になりました。
野望は尽きぬ!🔥

- 人生のビジョン
現代の日本に生まれて、ただ生きていくだけなら何も努力はいらない。
厳密なところをわざわざ口にすれば語弊のある言葉かも知れませんが、概ねその通りだと思います。
「ただ生きていく」
幸か不幸か、私はそれだけでは満足できない価値観を持っています。
きっと多くの人がそうでしょう。
競争になれば勝ちたいし、不味いものより美味いものを食いたい。
本能レベルでインプットされてる欲求があるはずです。
あなたもその中のひとりでしょうか?
そうであれば、将来のビジョンを是非、明確にすることをお勧めします。
「〇〇大学に合格する」
「年収〇〇万円稼ぐ」
など、達成した時に達成したと分かる明確な目標が必要です。
それもなるべく大きなものと、小さなものの両方。
ビジョンを明確にすることをお勧めする理由は、程度の差こそあれど、「ただ生きてる」ことと、「それなりにいろいろやってきた」ことの区別を分かりやすくするためです。
人生の節目などでふと振り返った時。
または人生最後の時が近づいてるのを感じた時。
「あんなことを成し遂げたな」
「ここまで来れたな」
の、具体的な思い出により「ただ生きてきた」ことと明確に線を引くことができます。
何かを明確に追いかけ出した時から人生の充実感がまるで変わります。
- すげぇ頑張ることより大切なこと
継続力さえ身につければ才能なんかどうにでもなる。
1%毎日努力する人と怠ける人を比べた場合、一年後には、仮に身長で表現すると元々1メートルの人が37メートルの巨人と2センチの小人の差になる。
能力の差にそのまま置き換えたら…。
才能なんてちっぽけなものです。
当然のように結果に明確に現れますよね。
子供の頃はみんな一斉にそれなりに頑張ってみんな同じような時間の過ごし方をして、11ヶ月違えば全然成長具合も違うような年頃の子達を一学年としてまとめて横並びにして比べられたことにより「才能」というものを絶対的な壁のように刷り込まれてきます。
しかし、社会人は全く条件が違います。
確実に自信を持って言えることがあります。
人生は、諦めなかったやつが勝つ。
1日の努力量なんて、逆に言うとそんなべらぼうにいらない。
到達までのスパンを長くすればするほど一回の努力なんか人よりほんの少しプラスならいいだけ。
時間がかかるというより、そんだけ時間をかけていいなら、やめなきゃ誰にだってたいがいのことはできる。
やるか、やらねぇか。
それだけ。
前進あるのみ。 - 戦隊モノがなんか変!
先日、子供向けの本に載っていた今の戦隊モノのキャラをみてびっくりしました。
あからさまなまでに多様性を意識してるんだろうなぁっていうキャラの容姿と設定。
別にそれ自体は素晴らしいことだと思ったのですが、子供にとってヒーローは人生の最初の教科書だから、時代に合わせるのはいいけど、今後どこかで変にねじ曲がらないで欲しいと思いました。
時代変遷で気になるところと言えば、
行きすぎて逆に女性優位になってる男女逆差別とか、
弱者が無条件で有利になるハラスメントハラスメント状態とか。
いろいろあります。
差別と区別が区別できずにパワーバランスがおかしくなっているのが問題です。
イメージとしては、やられてた分を立場逆転させて、やり返してこそイーブン!みたいな考えなんかこれって思える環境改悪。
「対等」を目指せばいいんじゃないの!?って思いますけど。
戦隊モノとかに携わる人達は、正義とは何かと、この世で1番で考えてる人達だ勝手に思ってますので大丈夫だとは思いますが、歪んだ正義を子供達にとってとてつもなく影響力のあるヒーローを使って植え付けられたら恐いなって思いました。
変に揚げ足取りしてくる浅はかな主張に影響されて「暴力は駄目だから弁論で戦わせよう!」とか無しですよ。
そんなこと言ったら警察官も丸腰でテロリスト捕まえなきゃいけないじゃないですか!とかキリがないんで💧
こだわって変えない美学も正義のヒーローには必要だ。
- 苦手なことにどんだけ挑めるかが重要になってきている。
昔は格闘技にしても、「どのバックボーンが一番強いか」なんて時代もありましたが、今は「穴(欠点)」がないことが重要な要素になっています。
それは社会人として生きていくうえでも全く同じな気がします。もちろん何か「武器」を持っている前提ですが、例えば「私は英語が得意なんで!」と、それだけで社会的価値を見出すのはほぼ不可能です。
農家も同じ、もともと「百姓」という言葉は「百個の仕事を何でもやるひと」的なニュアンスからその名がついたそうです。
経営も農業もいろいろできなくては生き残れません。社会人になりたての頃の私は筋肉バカと言われてきました。
当時は完全に使われる側だったこともあり、これと言って何にも長所がない人よりは重宝されてはいましたが、40代に差し掛かろうとしているおっさんが未だにそれでは困ります。
私の場合、苦手としていたITを、経営者になるなら苦手のままではいられまいとここ数年ようやく学び出しました。
ひとつのことにまず全力で取り組みつつも、目指すべきところはもっと先の先。
私はここ数年、幅広いジャンルの基礎知識と、3つくらいのプロ級の専門知識を追いかけて頑張ってます。
きっと何か一つのことを全力でやれるようになったから「幅が大事!」とか言えるんだとは思うんで、子供にはまず何かひとつを全力でやれるように教育していくつもりです。
でも、その先があります。
子供達にも然るべきタイミングで警告していきます。
これからの時代は「○○にしか使えないやつ」はあんまり根強く盤石な需要がなくなってきているように見えますから。
組織への依存度が高まるリスクを減らすには、この考えが必要です。

- 芋屋の夏2022
呆然とするくらい雑草が伸びていたのをうまいこと最小限の労力で処置した後は、芋屋の芋活はこの後収穫時期までひたすら放置。芋の生命力にかけます。

去年と同様に生育が不良な場所がありますが、今年もどうやらあまり生育がよくないようなので特定のエリアは土壌が悪いことが分かりました。
実際、土壌診断などは簡単にできるものではないのでやっぱり「やってみるしかない」の一言に尽きます。

それ以外は、逆に蔓ボケが心配になるくらい繁茂していたので、雑草と一緒にある程度蔓をカットしました。
その他、干場の整備などの雑務や他の野菜や果樹の研究をしましたが、無理せず十分家族サービスの時間が取れました。
さて、次茨城にくる時は収穫時期です。
それまでまた農家レベルを爆上げしてきます!
- 覚悟の時代
何をするにも自分で責任をとる覚悟が必要な時代になってきました。
自分の頭で考えて、正解のない問題にも挑んでいかなきゃいけない。
リスクを取らないリスクがこれからどんどん明るみになる時代がくると思います。
特に経済、そしてそれ以上に教育。「世の中何があるか分からない」そんなこと誰しも分かりきったつもりでいましたが、誰にもそんな世界で生きる覚悟はできてなかった。
これから必要なのは、よく考えた上で「これをすることでこうゆうリスクもある。けど、これが自分が出した最適解だから悪い方に転じたとしても後悔しないようにしよう」という深い考えに基づく行動と覚悟なんだと思います。
なんとなく過ごせていた時代のなんと平和だったことか。
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