芋屋的愛の育て方「家族っちゅうのは・・・」

現在、子育て世代の我が家も、家庭内のあれそれが日夜、多々あります。

一言でいえば、まぁ・・・

・・・「大変」なわけですよ。

専業主婦の妻に対して、仕事から帰ってきた私の方が夕方家事をする割合が高く感じたり、

一時期、仕事が大変すぎて究極に嫌気がさしたときには、

「男性による家事育児が当然って考えは分かるけど、そもそも男性が抱えている仕事がなぜ常に育児より楽な前提なんだ!今はこっちだって気狂いそうなほど大変なんだよ!」

という時期があり、

『育児はやるけど、家事はやらん!!』

という考えに至ったことがあります。

時は流れ2023年

今は私の仕事の状況も変わり、家に帰ったら寝るだけの状況からは脱しました。

家事も育児もよくやっています。

そんな状況であるここ最近の夕食後、こんなことを思いました、

『ママは夕食を作ったけど、俺は子供たちを風呂に入れて、風呂掃除して、食器を洗って、洗濯物干して・・・今日は(いつもは適当に分担)バランス悪くないか?俺がここまでやるべきなのか?』と。

いつもは大体、私がやらない家事を妻がやるのですが、やらないでそのまま寝ちまいやがる時があるので、余裕があれば私が多めにやってしまいます。

来年には共働きになる予定なので、こんな問題は起きないのでしょうが、今はやはり「俺がここまでやる必要があるのか」とか思ってしまうんですね。

ただ、やっぱり家族を愛する(そしてブラック企業時代とは違って余裕のある)私はこういう考えに至りました。

『家庭において仕事の分担を考える時に「~べきだ」という考え方を持ち込んでしまっては愛は育たないのではないか。』

30代にして悟ったかも知れません。

正論ならべて理屈で話をするのは外(社会)で自分の権限や時間、立場を守る時に必要でしょうが、理屈を用いた論争を家庭、特に夫婦間でしてしまっては、愛が理屈の枠までの大きさを超えないと思うんですよ。

例えばこんな感じのロジカルマシーンと結婚したいですか?

妻「ごめん、悪いけどこの仕事が終わらなくて手伝って欲しいんだけど・・・」

夫「いや、私も今まで○○していて、この時間君は✖✖をしていたよね?起床時間も私が〇時であるのに対して君は△時だ。そしてこの作業にかかる時間は前回と比較して同等であるはずなのにその分を加味してその他の仕事を処理してきたのかい?僕はしてきた。努力をしている者の時間を努力していない人間が奪うことに対してどう思う?僕だったらこんなこと頼めないね。さらに言えば明日僕は・・・・・(うだうだ)」

・・・・家族ってそういうものかい!?そこに愛はあるのかい!?

そんな姿を子供に見せて育てたいかーーーーい!?

人は感謝しても感謝されても幸せになれるんです。

理屈を超えた人間らしい繋がりがあるから必ずどこか悪いところや自分と合わないところを持つ他人と暮らすことに幸せを感じるんだと思うんです。今がそうじゃなくても、そう感じ得るんです。

そういう家族でい続けたいですね。

機械にはできませんよ。

また、自分のなかにウダウダロジカルマシーンが表れそうになったら自分に言い聞かせます。

俺はキカイダー(昭和のヒーロー。さすがに私もこの世代ではない。)じゃない!!と。

注:キカイダーはウダウダロジカルマシーンではありません。多分。知らんけど(笑)

コメントを残す