しばらく前に、某有名俳優が公然の場で奥さんを言葉で傷つけられたことに激怒して、相手を平手打ちしたことが話題になりましたね。
それに対し、賞賛の声もあがる中、一方では
「言葉で言われたことに対して暴力で返すのは間違っている」
との意見もありました。
何が正しいかを述べるつもりはありませんが、さも、心理的ダメージは物理的ダメージに比べ軽視されるような発言には私は疑問を抱きます。
時に心理的ダメージも殺傷能力を持ちます。
なのに世間の風潮としては、「口で言われたら、口で返しなさい」という教育がねじ曲がり、
心理的暴力 < 物理的暴力
のような構図が出来上がっているように見えます。
この一件の時にそんなことを思ったのですが、この問題を法的な面でも整備すべく行われているのが、各種ハラスメント防止の対策なのでしょう。
しかし、日頃、私はその被害度合いが定量化できないせいで「訴えた者勝ち」状態になる、名付けるなら『ハラスメントハラスメント(ハラハラ)』の方に目が行って、むしろ真逆の方向を向いていました。
(実際、言い方は悪いですが”公式の当たり屋”状態になっている人が多く見られるようになっています。)
これらの対立する「見えないダメージに対する考え方」の両方の視点を持つ必要があります。
ちょっとのことで、例えもともと自分に非がある場合でも「私は不快に感じていますー-!」と強く訴えたら、相手はどれだけ悪意がなくても重大なダメージを与えた加害者になってしまう今の被害者最強制度は、いずれ正しいことも部下や後輩に指導できない、またはしない方が賢明だという風潮が当然できあがります。
それで資本主義社会が成り立つでしょうか。
確実に経済が弱体化していきますが、それでも会社全体が潰れる方が個人で損失を被るよりいいと多くの人は考えるでしょう。
会社が潰れるのは間接的に自分のせいだとしても世間的にはそうならないし、賠償金を払うこともない。確実に潰れるとも限りませんし、他の人が解決してくれるかも知れません。
個人的に訴えられるより、圧倒的にリスクが低いように思います。
ただ、私が思うに、そうなってしまってはその組織はおしまいです。
ここでポイントになるのは被害度合の定量化です。
しかし、それは不可能でしょう。
かと言って、心のダメージが表面化するまでその被害はなかったことにされるような世の中であってはいけません。
問題は、『この問題をどう解決していくか』ではなく
『これらの答えの出せない問題だらけの社会でどう逞しく生きていくか』
だと思うのです。
世の中があらゆることに対応しようとしすぎて複雑化されたため、どこかで相いれない矛盾する問題が発生します。
法律という必要な線引きを悪用せず、また、悪用されないための人間力や知識、思考力が求められます。
私は、子供に子供向けの哲学の本を読むようにしています。
正解のない質問を多く投げかけるようにしています。
たかだかまだ40年も生きていない私ですが、明らかに昔よりも住みにくい社会になったと感じています。
時代の変化のせいではありませんが「AはBだ!」などという二局化した物言いはできない世の中で「あの時の暴力は良くない!なぜならこの場合においては・・・」という多角的なものの見方、考え方ができる人間を、私たち大人が子供の教育を通して作っていかなければならないだろうなと思いました。
・・・なんか、クソまじめな記事書いてしまった(‘Д’) ではまた!
