偽善は「悪」なのか

世の中には良い事をしているひとを捕まえて「それは偽善だ!」と冷ややかな目を向けたり否定的な態度をとる人がいます。

私の考えを先に言ってしまうと、「偽善者」と「良き行いをしようと試みる人」は全然違う。

偽善は勿論悪意があれば「悪」だが、それ以外のことを言えば「偽善」とよばれるようなことも結果「善行」。

少なくとも偽善も「良」なのだ。

大抵「偽善者」という言葉を使う人の多くの言い分はこうだ

「本心では自分がかわいいのに、人からよく思われたいと思ってる」

「いい人ぶってる自分に酔ってる」

しかし昨今の災害時にはそれで救われているひとは世の中にどれくらいいただろうか。

結果だけの話をすれば本人すら偽善だと思っていることも相手がいて、プラスになることをすればそれは立派な善行だ。

「結局人は自分が一番かわいいから、いざとなったら人を裏切るのに…」

「周りに対するアピールだ」

だったら何だと言うのだろうか?

良い人ぶるのを汚いことと捉えて何も人に施さない人より、よっぽど余裕のある時だけでもひとの力になろうとする人の方が美しい。善人だと思う。

心の声に常に従うことが正しいと言うのなら、それこそ人はその醜さを露呈することになる。

取り繕って、いい人であろうとしてこそ人間らしくいられる。

特に若い人たちに言いたい。

「偽善者め」と冷やかしを入れてくる人の目や言うことなど気にするな。

自分が正しいと思うことをやれ。

少なからず、そんなあなたに後からついてくる人達がいるはずだ。

その場の空気や冷ややかな目線など取るに足らない。

一時の恥や少しの苦労などあなたの人生になんの影響もない。

だけど、あなたの一瞬の勇気が、今その時助けを必要としている人の一生の勇気に変わるかも知れない。

小さくてもいい。

ゼロは何度重ねても何倍にかけてもゼロだ。

微小でも「無」ではなくなるその最初の一歩がとにかく大切。

自分が人にして欲しいことを人に施せ。

世界を良くして行こう。

まずは自分の手の届くところから。

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