つくづく思うのですが、
「俺、才能ねぇー」
長距離走、パワー系種目、理数系の知能とか、てかそもそも頭悪いし、特に脳に瞬発力がない。「脳に瞬発力」って表現がもうバカっぽいし。
フィジカル系のセンスを自己評価すると、丁度「下の上」くらいがしっくりくる表現。
やってるから人より上の結果を出してるけど、才能的にはほんとそんなもんです。
確かに「下の下」の才能の人よりは絶望的ではないものの、現状結果的に肩を並べてるクラスの人達との素質の差は天と地ほどあります。
英語の勉強してても、高校時代の教材引っ張りだしてきて「この内容、現役で習得してるやつには絶対敵わんな!」って思います。
しかし、それでもそんなに悲観してはいないのはやっぱり私は結果が全てだと思っているからです。
英語の教材の内容を現役で習得した人たちが、その才能の差ほど今の私に収入や人生の厚みなどの面において差をつけられているかは分かりません。
少なくとも学校を卒業してそのまま学習することをやめている人にはそうそう今の私なら総合的に負けないでしょう。
人生においてはそっちの要素の方が重要です。
如何に目的意識を持って実用性のある学びを得て、現在の結果に繋げているか。
過去の栄光なんてなんの役にも立ちませんし、結果使う当てのない能力は元からないのとあまり変わりませんからね。
フィジカル面では分かりやすく同年代の才能タイプとの差が目立ちます。
才能で目立てるのは精々二十代までです。
私の個人的な考えでは「努力も才能のうち」という考えもわかるのですが、「才能」って努力と切り分けるために存在する概念のような気がするんです。
確かに努力できない人には努力も才能だと思うのかも知れませんが、厳密にいうとそれは「才能もないし、努力もできない」と表現すべきかと思います。(なんか酷いこと言ってる感💧)
結論
才能と努力は分けて考えるべき。
才能は後天的には変えられないけど、努力は考え方でいくらでも変わる。
大事なのは「俺、才能ねぇー!」と思ったその後。
「努力も才能のうちだから、私には才能ないから無理だわ!」と自分の人生を諦めるのか
「才能ねぇからひとよりやるしかねぇわ!」と努力しないことを諦めるか。
若い世代の人たちよ、
諦めんな!自分の人生だけは。
私は自分の才能がないと思うたびにそんなことを考えます。
