子育てしててよく思うんです。
子供達には多少危ない目に合わせて育てないと、危険予知できないまま大人になったらその方が危ないんじゃないか。って。
でもやっぱり何かあったらどうしよう…。
恐くてやっぱり過保護気味になってる気もします。
二宮金次郎の銅像も最近では、歩きながら本を読んでいるのは模範的ではないということで薪の横に座らされました。
確かに勤勉さの象徴っぽさは残ってるけど、それじゃただの座って本読んでる人だろ!とも思います。
歩きながらでも、その間を惜しんでまで勉学に励んでいる姿勢を真似しなさいってことで銅像になったんだと思うんですけどねぇ💧
そして、危険がどーこーの話に戻りますけど、そんな状況でも周りに注意を配るくらいのことは人間できるんです。その能力を奪おうとしてるリスクも考えてください!ってのが今日のテーマです。
歩きスマホを肯定しているわけではありません。
ですが、歩きスマホって実際、それ自体がそんなに危険でしょうか?
いつでも止まれる速度で、やめようと思えばいつでもやめれる状態でそこまで危険だとは私は思わないです。
危険なのはそんなイージーな状況でも事故になるような注意力しかないこと。更に社会が危険とされることを無闇に取っ払いすぎて、注意力のない子供を育ててしまうこと。
人混みが多けりゃ「あ、ここは人にぶつかるかも知れないから今は歩くことに集中力しよう」とか「今なら周りを気にしながらならスマホはいじれるな。でも歩く速度は落とそう。」って判断する。
そうやって危険予知能力だとか、注意力そのものが備わっていくんですよね。
とは言え、それをまだ幼い小学生とかに「歩きスマホしてもいいですよー」ってのは大人の判断力が残念ですし、
勿論、大人でも車の運転なんかではそうはいきません。
動いてる速度も違ければ、出ている力も違います。一回でも間違いが許されないことですから。
でも、危険予知慣れしてないひとは、そういう「絶対に犯してはいけないミス」とそうじゃないものの判別もつきにくいと思うんです。
言葉では説明されるでしょう。学校や教習所などで教わることでしょうが、心の奥で本当に理解するっていうのは数々の危険を体験してきた人じゃないとできないと思います。
二宮金次郎さんもわざわざ人が混雑する中、危険を冒して周りを見ないで本を読んでいなかったでしょう。
足場の悪いところは足場を気にしながら注意を配って歩いたでしょう。
その隙を縫って勉強してたんですよ、偉いですねー!って話じゃダメですか?
なんでもやらなきゃその時はとりあえず安全ですよそりゃ。
だからってそれで禁止、禁止!ってなんでも取り上げちゃうのは逆に危険を大人が育ててると思うんです。
まだ子供が小さい我が家では、親の目の届くところでそういう感覚を育んでいこうと思います。
物事のメリットとデメリット、物事の本質やその裏に隠れているもの、いろんな面を照らし合わせて教育をしていかなきゃいかんなーって思いました。
ではまた!
