地下壕、潜らせて頂きました

硫黄島に来ております。

ここはちょっとやそっとでは語り尽くせない島なので、後々少しずついろんなことを書き込みたいと思います。

今日は淡々とただ壕の様子を少し公開します。

内地ではもう秋だと言うのに相変わらず毎日最高気温が30℃以上。最低気温もあんまり下がりません。

そんな小笠原諸島。先人達が命を賭して断固守り抜こうとした島。ここは硫黄島です。

うわ、え?アレが入口?

ネズミがいても巨大ムカデがいてもヤモリがいても前進あるのみ。十数メートルこれで進みます。

閉所恐怖症の人の気持ちが分かります。

戻りたい時に後ろが支えて出られないとか、ハマったらどうしようとか、酸素濃度計正確なのかよとか。不安なこと考えるとパニックになるので、一旦精神統一。

壕の中は複雑に張り巡らされて決まったルート以外は下手気に入れません。

同じルートをたどり、再び匍匐前進で狭い通路を抜けると、改めて望める摺鉢山の麓の上陸海岸。

ここは昔、しこたま米軍が上陸してきた南側の海岸です。

所変わって、また別の壕です。

ここは自然の洞窟を細工してトーチカを構築したように見えます。

このように普通に歩いて通れる壕の方が少ないです。

ここには特に目立った遺留物はみられません。

更に他の壕です。

こちらには遺留物が多く見られます。現地において本物を見られることは本当に貴重な体験です。

ここは米軍により大量の海水を流しこまれて多くの死者をだしています。

しかし、彼らの本当の狙いは更にその後、壕の奥まで行き渡った海水の上に油を流し込んでそこに火をつけることでした。

人にどこまでも残酷なことをさせてしまうのが戦争です。

日本軍も多くの米軍を殺しています。

ここでは、これ以上深くは語りません。

武器や鉄帽、食器類や何かの薬品なども生々しく残されています。

また他の壕です。

因みに、壕の中の酸素濃度やガスも危険なのですが、それに加えて何せ暑い。

本当に当時からこんなに暑かったのか、どうしても現代に生まれた私には信じ難いくらい暑いです。

精神論とか、慣れとか、死が迫ってたらキツくてもなんとかやるものだ!っていうレベルではないように思えます。

今回はあまり意見やエピソードを敢えて書き込みませんでした。

「戦争」というものが余りに複雑で、何か一言口にすれば、どうしても一方からの目線になったり、軽々しいものになってしまう。

なので、「こういうことがあった」という事実とその形跡をただありのまま掲載して、今回はしめたいと思います。

ではまた!

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